私らしく生きる。

中野ひなこ、20代、小学校教員、現在休職中、うつ病患者です。目指せ寛解!つれづれ日記。

うつ病から回復しつつある今こそ、転職について考えてみる。

こんにちは、ひなこです。

 

12月現在。

そろそろ、薬の量も減ってきて、体調も良くなってきたので、転職について考えてみました。

ただ、この仕事が好きなのもあって、情報収集段階です。

 

 

異動するまでにあと1年頑張りたい

でも体調を崩した職場に戻るのが怖い。

 

 

そんな複雑な気持ちです。

 

そこで、転職するならどこを大切にしたいのか、自分なりにまとめようと思います。

 

    労働環境

 

1番はここです。残業時間が多すぎました。

毎日6時間の残業+土日出勤なんてこともありましたので、120時間はやっていたと思います。

 

教員は残業代がありません。

 

教員は残業代がゼロです。

(正確には月4%の調整額が全員に与えられています。)

 

 

以前実際に転職活動をしたときに、ある会社の人事さんから

「月どのくらいの残業時間なら働けそうですか?」とフランクに聞かれたことがあります。

 

 

私は「いくらでも!」とダメ回答な回答をしてしまいました。

いくらでもやってしまった結果、病気になってしまったのですから。

 

 

もちろん人事の方にそこを指摘され…。

 

 

でも今なら「繁忙期で月60時間前後なら大丈夫」と答えると思います。

 

 

17時定時だとして、20時までやって残業3時間を週5日間×4週間=60時間です。

 

意外と短いな、と私は思いました笑

 

治ってきた今ならあと10時間くらいはプラスでできそうです。

でも無理は禁物。自分の感覚的にやれそうだな、と思う残業時間を一度計算してみることもおすすめかもしれません。

 

    仕事内容 

 

今のお仕事は大好きです。授業のプランを練って、子供が楽しんでくれた、良い気付き

を得てくれた、このうえない喜びです。

 

ただ、教員は何でも屋すぎる!!

 

国語・算数・理科・社会の主要4教科+体育、音楽、図工、総合的な学習の時間、外国語活動、道徳などすべてをやらなくてはいけません。(学年によっては専科教員の授業あり)

 

 

それに給食指導、掃除指導、下校指導、行事、校内イベント、地域のイベント(休日出勤、振り替え休日なし)など盛りだくさん。

 

 

やりがいだけではやっていけません。

 

 

そんな中で私が教員を目指したきっかけはなんだろうと考えました。

 

 

それはある児童との出会いでした。

 

 

その子は発達障害を抱えていました。

今思っても少し重い子で、でも可愛らしく心優しい良い子でした。

親御さんも悩んでいらして、「普通に育てたい」その思いが強く、その子は自分のことをよく否定していました。

 

 

私の力だけではどうにもできなかっただろう。

でも、私に知識と経験があれば、親御さんとその子の心を少しでも軽くできたのではないだろうか。

 

 

その後悔が今でもあります。

だからこそ、発達障害のある子も伸び伸び生活ができる学級を作りたい!と思ったの

が、最初のきっかけです。

 

 

障害は、個人と他人との間にあるものではなく

社会との間にある「壁」のようなものだと私は思います。

 

 

この病気になってみて、周囲のあたたかい気遣いと

逆に理解がないことのつらさ、両方を経験しました。

 

 

世の中にはまだまだ、つらい思いをしている人がいる

 

 

それは社会が、人が、知識がないために生まれてしまっている溝だ、と私は思うのです。

 

 

病気や発達障害で苦しんでいる人を助けたい、力になりたい

ついでに授業やセミナーができたら…!

 

 

なんて妄想をするこの頃です。

 

 

まだまだ、頭の中のぐるぐるは続きそうです。