私らしく生きる。

中野ひなこ、20代、小学校教員、現在休職中、うつ病患者です。目指せ寛解!つれづれ日記。

結婚2年目、うつ病の私が夫と別居になった理由②

 

こんにちは、ひなこです。

今回は別居の2つ目の理由についてお話したいと思います。

 

2つ目の理由は

 

夫がうつ病や休職に理解がなかったことです。

 

 

私は2018年の6月に「抑うつ状態」と診断され、2か月の休職となりました。

 

 

休職直後は毎日寝たきりの状態でした。

 

円周上に痛む頭、高熱が出たようなだるさ、咳や軽い鼻炎に胃腸炎

 

例えるならば、1か月間ずっとインフルエンザにかかったまま治らないような…そんな体調が続きました。

 

 

精神状態がこんなに体調に関わることを身をもって知りました…。

 

 

そして7月。

 

体調は万全ではありませんでしたが、起き上がって家事ができたり、近くのスーパーやコンビニに行ったりするなど少しずつ回復してきた頃。

 

 

夫からの強烈なモラハラが起こりました。

 

 

忘れもしない717日。

 

 

夫は私の部屋に来てこういったのです。

 

 

「元気になったんでしょ?働きなよ」

「何を甘えているの?」

「公務員と違って、会社は厳しいんだよ」

 

 

絶句しました。

  

 

毎日寝たきりの状態からようやく起きて活動できるようになって

 

夫に家事をやってもらっていたので申し訳なくて

 

先週にはお互い趣味のトレッキングも連れて行ってもらって

 

 

嬉しくて

 

 

その日は2人で使ったテントを洗い、

夫の好きなアイスを少し遠くのスーパーまで頑張って買いに行った日でした。

 

 

ただただ泣きました。

 

 

うつ病はひとりで寛解できるような病気ではありません。

 

でもなんとか回復したくて、仕事の忙しい夫に心配をかけないよう

 

必死にひとりで毎日毎日もがいていました。

 

 

しかし、彼にとっては

 

「仕事をしない」

 

ということが、

 

「甘え」

 

だったみたいです。

 

 

その日の私の日記にはぐちゃぐちゃの字でこんなことを書いていました。

 

 

 

「私、がんばってるよ

 ちょっとだけだけど成長してるよ

 

 あなたに喜んでほしくて

 テントも洗っておいたし、アイスも凍らせておいたよ

 

 何もしない1日じゃなかったよ

 

 がんばったねって

 えらいねって

 ありがとうって言ってほしかっただけだよ

 

 がんばったことが認められたいだけだよ

 

 そんなに私は頑張り足りないかな?

 そんなに弱いかな?

 そんなにダメかな?

 

 あなたにとっては当たり前でも

 私にとってはすごくがんばっていることなんだよ

 

 素直じゃなくてごめんなさい

 でも素直に言うこと聞くだけが、素直じゃないんだよ…」

 

 

 

その直後、私はまた、体調を崩すことになります。

 

 

私が別居した理由③に続きます。

うつ病から回復しつつある今こそ、転職について考えてみる。

こんにちは、ひなこです。

 

12月現在。

そろそろ、薬の量も減ってきて、体調も良くなってきたので、転職について考えてみました。

ただ、この仕事が好きなのもあって、情報収集段階です。

 

 

異動するまでにあと1年頑張りたい

でも体調を崩した職場に戻るのが怖い。

 

 

そんな複雑な気持ちです。

 

そこで、転職するならどこを大切にしたいのか、自分なりにまとめようと思います。

 

    労働環境

 

1番はここです。残業時間が多すぎました。

毎日6時間の残業+土日出勤なんてこともありましたので、120時間はやっていたと思います。

 

教員は残業代がありません。

 

教員は残業代がゼロです。

(正確には月4%の調整額が全員に与えられています。)

 

 

以前実際に転職活動をしたときに、ある会社の人事さんから

「月どのくらいの残業時間なら働けそうですか?」とフランクに聞かれたことがあります。

 

 

私は「いくらでも!」とダメ回答な回答をしてしまいました。

いくらでもやってしまった結果、病気になってしまったのですから。

 

 

もちろん人事の方にそこを指摘され…。

 

 

でも今なら「繁忙期で月60時間前後なら大丈夫」と答えると思います。

 

 

17時定時だとして、20時までやって残業3時間を週5日間×4週間=60時間です。

 

意外と短いな、と私は思いました笑

 

治ってきた今ならあと10時間くらいはプラスでできそうです。

でも無理は禁物。自分の感覚的にやれそうだな、と思う残業時間を一度計算してみることもおすすめかもしれません。

 

    仕事内容 

 

今のお仕事は大好きです。授業のプランを練って、子供が楽しんでくれた、良い気付き

を得てくれた、このうえない喜びです。

 

ただ、教員は何でも屋すぎる!!

 

国語・算数・理科・社会の主要4教科+体育、音楽、図工、総合的な学習の時間、外国語活動、道徳などすべてをやらなくてはいけません。(学年によっては専科教員の授業あり)

 

 

それに給食指導、掃除指導、下校指導、行事、校内イベント、地域のイベント(休日出勤、振り替え休日なし)など盛りだくさん。

 

 

やりがいだけではやっていけません。

 

 

そんな中で私が教員を目指したきっかけはなんだろうと考えました。

 

 

それはある児童との出会いでした。

 

 

その子は発達障害を抱えていました。

今思っても少し重い子で、でも可愛らしく心優しい良い子でした。

親御さんも悩んでいらして、「普通に育てたい」その思いが強く、その子は自分のことをよく否定していました。

 

 

私の力だけではどうにもできなかっただろう。

でも、私に知識と経験があれば、親御さんとその子の心を少しでも軽くできたのではないだろうか。

 

 

その後悔が今でもあります。

だからこそ、発達障害のある子も伸び伸び生活ができる学級を作りたい!と思ったの

が、最初のきっかけです。

 

 

障害は、個人と他人との間にあるものではなく

社会との間にある「壁」のようなものだと私は思います。

 

 

この病気になってみて、周囲のあたたかい気遣いと

逆に理解がないことのつらさ、両方を経験しました。

 

 

世の中にはまだまだ、つらい思いをしている人がいる

 

 

それは社会が、人が、知識がないために生まれてしまっている溝だ、と私は思うのです。

 

 

病気や発達障害で苦しんでいる人を助けたい、力になりたい

ついでに授業やセミナーができたら…!

 

 

なんて妄想をするこの頃です。

 

 

まだまだ、頭の中のぐるぐるは続きそうです。

結婚2年目、うつ病の私が夫と別居になった理由①

 

こんにちは、ひなこです。

 

現在、私は夫と別居中です。

なぜ結婚2年目で別居にいたったのか、その理由を書いていこうと思います。

 

まず、1つ目は彼が私の容姿を気に入らなかったことです。

 

私がうつ病になった理由④夫との不和でもお話しましたが、

 

 

夫は自分にも他人にも厳しい人でした。

 

 

彼が努力を怠らない性格な分、私にもそれを求めました。

 また、彼は世間体や、学歴、見た目、行動などわかりすいものを好んでいたと思います。

 

 

私は結婚してからというもの、見た目についてよく言われることが多かったです。

 

「顔がまるいね」

「足が太い、なんとかして」

「目が小さい」

「足が短い」

「胸が大きくてすらっとした人が好きだなあ」

 

ならべてみるとひどいもんですね笑

 

 

何度も私が「そういうことを言われるのは嫌だ、やめてほしい」と言って結婚当初から減ってはきたものの、私がうつ病で休職してからも続きました。

 

 

休職してから激減した体重がようやく戻りつつある頃に

「顔がまるくなったね」と言われたときは本当に悲しかったです。

 

 

 

また、私は昔から下半身太り気味なのですが

 

「足が(普通の人と比べて)太いから、痩せてほしい」

 

と何度も言われました。

 

好きだった頃はジムに多めに行ったり、痩身エステに通ったり(代金は私持ち…)

体重は変わらなくとも太もも周りを3㎝細くしました。

うつ病で休職中にこんな無理しちゃダメです)

 

 

しかし、彼の理想にはほど遠かったようです。

 

 

別居に至るまで何度も話し合いをしましたが

 

 

「自分の理想になるべく近づいて欲しい」

 

 

と毎回も言われました。

 

 

 笑った時に頬に肉がのるのも嫌なんですって笑

一緒に出掛けて、写真を撮るとき何度「笑うな」とか「顔に肉がのるのやだ」と言われました。

 

人の容姿に対して「理想に近づいて欲しい」なんて最低すぎませんか…?

 

 

付き合った時から激太りしたわけでもなく

足の太さを隠していたわけでもない。

 

 

私の体型は標準から、人によっては細いと言ってくれる程度です。

 

 

それなのに…思い出すだけで腹が立ちます。

 

 

それが別居に至った経緯の1つです。

復職について不安ばかり

こんにちは、ひなこです。

数あるブログの中からアクセスありがとうございます。

 

 

休職してから半年以上が経ちました。

 

学校現場は学期や年度ごとに動いているので、その都度復職の面談に行きます。

 

2学期からどう?3学期からどう?年度始めの4月から?

何度この話をして、自分でも何度悩んだことかわからない。

 

 

ただ、私が感じるのは、

 

 

職場に戻ることが怖い。

 

 

それだけです。

 

 

直属の管理職には私が受けたことはしっかり伝えてあります。

・過労死ラインの長時間労働であったこと

・職場でいじめやパワハラがあったと感じていること

 

 

幸いなことに理解ある管理職だったので、泣きながら話した時もその後も十分にケアしていただきました。とてもありがたいことです。

 

 

ただ、学校はご存知の通りすごく狭いので復職してもいじめやパワハラをしてきた方はいるんですよね。(そりゃそうだ)

 

 

教員は大体4年~6年で異動があります。

3校目までは本人の希望を聞いての異動で、4校目からは学校を指定して異動できたりします。

 

子供がいる教員であれば家から近かったり保育園が近かったり。

エキスパートを目指したければ研究校や国立の学校、海外の日本人学校に赴任!なんてこともできます。

 

勤務地の多様さは教員の魅力の1つです。

 

 

私が休職の原因の1つとなった方は私とほぼ同時期なので、異動するまで休職なんてできないでしょう。

 

 

また、私の異動については、教員は6か月以上の就業がないと異動できないのです。

なので、学校を変えたくてもその前に働かないといけない…それがとても苦しいのです。

 

 

教員は求められるものがとても多いと実際働いてみて、感じました。

 

 

どこまでが子供のため?

どこまでが地域のため?

どこまでが仕事なの?

 

 

その線引きが行政にすらできていないのですから、わかりません。

 

ただでさえ20代は「なんでもやりなさい」とわけもわからず駆り出されがちですもんね。

それは疲弊しますよね…(私頑張ってたんだなあ)

 

 

その頃の恐怖を私はまだしっかりと覚えています。

 

 

これ、いつまでやるんだろう…

今日も0時帰宅だ。朝は7時には出勤なきゃ終わらない…

 

 

子供にとってなるべく最良のことをしなきゃ

保護者に迷惑かけちゃだめだ

あの先生みたいにしなきゃ

ここまで、あそこまでしなきゃ

 

 

仕事ではずっと「~しなきゃ」と自分にプレッシャーを与えていました。

 

もちろん、私に認知のゆがみがあることは承知しております。

 

 

でも、そう思わざるを得ない環境がそこにはあった…。
あの職場に、あのギスギスビクビクした職場に、戻ることと考えるだけでとても怖いのです。

 

 

また学期末がやってくると思うと、少し憂鬱です。

 

小学校教員の私がうつ病になった理由④家庭ー夫との不和

こんちには、ひなこです。

数あるブログの中からアクセスありがとうございます。

 

今回は自分の一番身近な家族、夫との関係についてお話しようと思います。

現在、彼とは別居中です。

その経緯は別の記事でまとめます。

 

 

原因②―家庭、夫との不和

 

 

夫と私はSNSで知り合い、付き合って1年ほどで結婚しました。

たまたま地元が一緒で、話が盛り上がったのがきっかけです。

彼の告白で付き合い、お互い結婚願望があったこともあり、とんとん拍子に結婚をしました。

今年で結婚2年目、知り合って3年目になります。

 

 

そんな彼は自分にとても厳しい人でした。

 

 

国内海外問わず急に出張になる激務にも関わらず、帰宅すると自室に直行。

英語や仕事に関係する資格の勉強をするような人でした。

 

 

土日は長く寝ていることを嫌い、お昼前には必ず起き、どこかへ出かけたがる。

山登りが好きなので私ともよく行っていました。

 

 

付き合った時は、私もまだ非常勤講師でしたので、夜もアルバイトをしていたとはいえ、激務ではありませんでした。

なので、よく夫に付き合って出かけていました。

 

 

山登りは私も好きになり、出かけることは楽しかったです。

 

 

厳しい一面はあるも向上心が高く、常に努力できる、そんな姿を尊敬していました。

また、時折見せる可愛らしい一面や優しいところも私は大好きでした。

 

 

しかし、彼が厳しいのは自分にだけではなく、他人にもでした。

 

 

 

彼はよく私に言っていました。

 

「だらだらするな」

「勉強したらどう?」

20代は短いんだから」

 

私が毎日長時間残業し、帰りが遅くなるとこんなことも言われていました。

 

「教員は残業代出ないんだから、早く帰ってきなよ」

「仕事は趣味じゃない」

「飲み会多すぎ」

 

 

そしてよく「民間企業は~」とか「社会人は~」と彼曰く【社会常識】を私に言ってくることが多かったです。

 

 

私にはそれが毎日拷問のようでした。

 

 

遅く帰った日は

「早く帰ってこい」「民間企業じゃその働き方はありえない」

 

必死に仕事を終わらせて早めに帰って、リビングでぐったりしていると

「だらだらしてないで、将来のために勉強とかしなよ」

 

毎日6時間残業をした土曜日、昼頃まで寝ていても

「だらだらするな。時間がもったいない」

 

 

私の頭の中は混乱してきました。

 

 

職場では、公務員の、教員の常識を教えられる。

家に帰れば、民間企業の常識で怒られる。

 

 

本当にパニックでした。

 

 

そして診断書が下りる日。

 

いつものように私は起きられず昼頃までベッドでぐったりしていました。

体は鉛以上に重く、激しい頭痛で動けませんでした。

 

「いつまで寝てるの。ご飯食べにいくよ」

 

夫にそう言われたとき、私の中で何かがはちきれました。

 

 

大声で泣きました。

 

 

「何もしたくない!!!」「どこにも行きたくない!!!」

 

子供が泣きわめくように大声で騒ぎました。

 

 

夫は驚いたようでした。私の頭を数回撫で、寝室から自室に戻っていきました。

 

 

でも夫は「うつ病」だけでなく、人の心の理解が非常に乏しい人で、、、

 

 

少し落ち着いて食事に行こうと、重い体を動かしふらふら歩いていました。

階段でふらつき、踏み外しそうになったとき

 

「ねえ、ちゃんとして」

「シャキッと歩いて!」

「そのスピードでしか歩けないの?」

 

そんなことを散々言われました。

 

 

うつ病がひどい時って本当に歩けないんですよね。

 

 

いつもの半分以下の速さでしか歩けない。

ふらふらしてまっすぐに歩けない。

階段を上がるのも一苦労。

 

その日は昼食は取らず、すぐに病院に行きました。

 

 

そこで「抑うつ状態」と診断されたのです。

 

 

 

私は仕事での厳しい状況と共に、家庭でも理解がなく、自分の常識を振り回す夫に、常に気を張っているしかありませんでした。

 

 

それがうつ病の原因だったのだと思います。

 

 

職場がもし、あの人員配置でなければ。

夫がもし、私の仕事にもっと理解があれば。

 

 

私はうつ病になってはいなかったかもしれません。

 

 

以上が、【私がうつ病になった理由】です。

 

夫との関係はこれからも整理していこうと思います。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

小学校教員の私がうつ病になった理由③職場の人間関係ー続き

 

 

こんにちは、ひなこです。数あるブログの中からアクセスありがとうございます。

 

【原因①仕事―人間関係】の続きをお話しようと思います。

 

 

新人の時に「職場の人とはある程度の距離を置く」必要があると考えた私は、現在の職場でも人との距離を置くようになりました。

同期とも必要以上に馴れ合わず、先輩たちには礼儀を尽くしたつもりでした。

 

 

それが失敗だったのです。

 

信頼関係が作れていなかったのです。

 

 

私は自分のことを必要以上に話しませんでした。

プライベートのこと、仕事での悩みや愚痴、そういうことをほとんどしなかったのです。

 

加えて、弱音となるものはそもそも言ってはいけないと考えていたのです。

 

 

自分から話さなければ、他の方も遠慮して話せませんよね。

自分のことを話さなければ、そもそも分かり合えない。

自分のことを話さなければ、自分のことも理解されない。

 

 

そうして、人間関係に溝が生まれていきました。

 

 

さらに私の大きな失敗は、協調性を重んじすぎたことでした。

 

 

1年目は仕事がわからず、ついていくだけで精一杯でした。

やりたいことはあったけれど、どこでできるのかがわからない。

誰にどう頼めばいいのかわからない。

 

 

その悩みも誰にも伝えず、心の中にしまっていました。

 

悩みや愚痴をいうことはよくないこと、という考え方をしていたので、言うに言えなかったのです。今なら、その大切さがわかります。

 

 

それに気づいたのは、違う先輩からの一言でした。

 

「初任者は誰よりも先に行動するものでしょ」

 

はっとしました。

誰よりも先に教室に行き、会議の準備をしたり行事の準備をする。

そんな当たり前のことを、私はできていなかったのです。

 

 

学年として行動する、先輩たちについていく

 

 

そればかり考えていて、大事な「主体性」を忘れていたのです。

協調性ばかり気にして、自分から動く「やる気」を見せられていなかった。

 

 

それも私の大きな過ちだったと思います。

 

 

それらのことなどがあり、私は自分の職場での評価がガタ落ちしたことを察しました。

 

 

私は頑張りました。

 

 

誰よりも早く行動するようになりました。

 

 

そして、頑張るところを見せるために必死に声かけをして、周りを気遣い、遅くまで残って仕事をしました。

 

 

それでも新人なので失敗ばかりです。

 

「そんなこともできないのか」

「ここまで教えてもわからないの?」

「あなたがミスをすると私が管理職に怒られるんだけど」

 

 

廊下に呼び出されて子供たちの前で怒られることもありました。

何か不備はなかったかと、放課後ほぼ毎日学年主任の教室へ向かい、指導を仰ぎました。

 

一部の方から必要以上に距離をとられたり、話しかけても無視されることもありました。

 

 

それでも私は頑張りました。

 

 

その甲斐あってか、数か月後には少しずつ認められるようになりました。

 

「中野さん、変わってきたね」

「そういうことも言えるようになったんだね」

「前は頑張ってなかったけど、今は頑張ってるね」

「中野、見返せよ。何やってんだよ」

 

何を言われても、その時の私には「もっと頑張れ」の意味でしか届きませんでした。

でも、がむしゃらにわけもわからず時間をかけるしか、頑張る方法がわからなかったのです。

 

 

そして新しい年度の夏、私は「抑うつ状態」と診断され、休職となりました。

 

 

今思えば、休職前にはすでにうつ病の症状が出ていたのかもしれません。

 

【私の一例です】

・教科書の内容を読んでも何が書いてあるのかわからない(小学生レベル)

・説明を丁寧にしてもらっても、何を言ってるのかわからない

・メモをとったことも忘れてしまう(見返しても何が書いているのかわからない)

・放課後は毎日仮眠をとる(会議中に寝ることも多かった)

・毎日体が熱っぽく、頭痛がする

・お腹が痛い(内科では胃腸炎と診断)

・肩と首が痛いくらいこる

・めまいがする

 

もう、体がぼろぼろでした。

 

もちろん、職場のせいだけでなく私が未熟な部分も多いです。

もともとの性格や考え方、同期がほめられると自分がけなされているように感じるなどの認知の歪みもうつ発症の原因の1つだったと思います。

 

 

ただ、新人だった自分にこれ以上なにができただろうか、とも思うのです。

 

 

わからないなりに一生懸命だったのに、できなくて怒られることばかり。

毎日残業でほとんど寝ていない。

21時から学年会が始まったりするので、早く抜けたくても抜けられない。

わからなくて聞きたくとも、他の先生方も自分のことで精いっぱい。

 

 

どうしたらよかったのだろうか。

もっと何を頑張ればよかったのだろうか。

 

 

いまだに…わかりません。

 

 

以上が私が経験した仕事での原因の大まかな部分です。

次回は②家庭(夫との不和)についてお話させていただきます。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

小学校教員の私がうつ病になった理由②職場の人間関係

 

こんにちは、ひなこです。

数あるブログの中からアクセスありがとうございます。

 

前回は仕事の内容についてお話をしました。

今回は職場の人間関係についてまとめていこうと思います。

 

ただ、読んでいただく前に誤解が生じないよう前書きをしておきます。

 

職場の先生方はそれはそれは良い方たちでした。

 

良い授業をしよう、立派な子供たちを育てよう、そういった教員という仕事に誇りを持ち、研究に熱心な方々でした。だけどその分、授業に対する指摘は厳しく、レベルが高かったと感じています。また、学校自体が他の学校より少し、保護者や地域の方の要求に答えようと頑張っていたのです。

 

だから、「保護者や地域の方から苦情が来ないようにしよう」と細かいところまで気を配り、行事などは特にギスギスしていたと思います。

 

そういった学校環境であったことをご配慮のうえ、私の体験を読んでいただけると幸いです。

 

【原因①仕事―人間関係編】 

 

まず、社会人1年目、まだ前任校で、今の学校ではないときのお話です。

 

私はまだ学生気分が抜けていませんでした。

その時の反省は、「職場の人と仲良くしすぎたこと」でした。

職場の先輩や同僚とまるで友達のように仲が良いと感じてしまっていたのです。

 

そして、3学期末、自分よりも20歳も年上の大先輩に馴れ馴れしく声をかけてしまったことがあり…彼女の表情を見て「しまった」と気付きました。その方も周りの方も「まだ新卒だから」と笑って許してくれました。

 

でも、私は「とても失礼なことをしていまった」と感じ、それ以来、職場の人となるべく近づき過ぎないよう距離をとろうと決めたのです。

 

これが、今の職場で人間関係がうまくいかない原因の1つになりました。

自分の反省です。

 

 

その後教員採用試験に受かり、正式採用として赴任したのは某県の高級住宅街にある小学校でした。市内でも歴史が古く、150年を超える伝統校でした。

そんな中、5人の同期と赴任し、学級担任となりました。

 

5人の新規採用だなんで多いですよね。

それくらい規模が大きく、また教育委員会からも一目置かれる研究校だったんです。

 

 

1年目は何もわからずなんとか1日を過ごしていました。

 

 

4月には大量にある保険関係の書類の整理。(新学期は身体測定や検診ばかり)

5月には運動会

6月には研究授業(初任者研修の一環です)

7月には地獄の成績

 

あっという間に夏休みになりました。

1年目は夏休み中にも大学講座を受けなければいけなかったり、宿泊研修、夏季移動教室、水泳の授業など休む暇がありませんでした。

 

 

それでも夏季休業日と振り替え休日(土曜授業日分)、有給休暇を組み合わせて2週間休みを取ることができました。夏休みは児童が登校してこない分、休みは取りやすいのでゆっくり休むことができます。これは教員の良いところでした。

 

 

しかし二学期に事件は起きました。

いじめやパワハラ(だと私は感じています)が起こるようになったのです。

 

 

ある日の平日の午前中、私が家庭の都合で休むことになり、直属の上司に許可を取り、管理職にも事情を話し、お休みをもらいました。

 

 

休む理由は話す必要はなかったのですが、大きなライフイベントだったので話したほうが良いと自分で判断して上司と管理職に伝えました。

 

 

そして午前中を取った日、早めに12時頃に出勤したとき

 

直属の上司でもなく、OJTでもなくただ一緒に仕事をしている先輩から

 

「新採(新規採用)のくせに、こんな大変なときに何休んでんだ」

 

と突然言われたのです。

とても怒っていて私には何が何だかわかりませんでした。

どうやらある地域の方がクレームで怒鳴り込んできたらしく、先生方で対応していたみたいです。

そんなことは知る由もないし、正当な理由で休んだのですが…

 

 

今思えば「寝坊した」と勘違いしたのでしょう。

 

 

あまりに怒っていたので私は直属の上司に相談しました。

 

「〇〇先生が私が休んだことでお怒りのようで…休む時には前もって他の先生方にも言っておいた方がよかったですか」と。

 

上司の答えは、

 

 

「その必要はないんじゃない。ただ、自分も有給はたまに取るけれども、自分は仕事ができて信頼があるから問題ない。でも、中野先生はそうじゃないよね」

 

 

その言葉を聞いてとてもショックでした。

一身上の都合で休んだとは言え、前もって説明までしたのに…。

 

 

1番理解してほしい人に理解してもらえなかった。守ってもらえなかった。

その時は涙をこらえることに必死で、何も言い返せませんでした。

 

 

今でも思い出すと胸が苦しいです。

 

それから私は職場の人間関係にあける、自分の大きなミスに気づくことになります。