私らしく生きる。

中野ひなこ、20代、小学校教員、現在休職中、うつ病患者です。目指せ寛解!つれづれ日記。

小学校教員の私がうつ病になった理由①仕事の多さと残業時間

 

こんにちは、中野ひなこです。

数あるブログの中からアクセスありがとうございます。

 

 私これから私がうつ病になった理由をお話しようと思います。 

 

  1.  仕事(仕事の多さ、残業時間、人間関係)
  2.   家庭(夫との関係)

 

【原因その①仕事―長時間労働

 

私は子供の頃から、学校の先生になるのが夢でした。

(そのお話はまた別で書きます。)

 

紆余曲折ありましたが、学生時代から小学校での学習補助員や中学校の教員などを経験し、

子供との接し方や「授業」をするテクニックを学びました。

 

子供と一緒にいることや、授業をすることはとても楽しかったです。

 

児童生徒がどうすれば私の授業を楽しいと思ってくれるか。

どうやったら「やりたい!」と学習に興味をもってくれるのか。

 

教員個人の創意工夫を込めた1コマ入魂な日々。

それはそれは楽しかったです。

 

そして数年前、私は某県の教員採用試験に合格。

念願の正式採用として働くことを許されました。

 

教員を目指すのなら正式採用!は当たり前ですよね。

福利厚生もしっかりある、賞与もある。

やっと一人前の先生になれる。

子供たちの前で自信をもって「先生」を名乗ることができる。

 

1年目はそういった思いでいっぱいでした。

 

しかし、現実はそうはいかないですよね笑

 

担任として抱える仕事の量が多すぎる…。

・1日5~6時間の授業

・給食指導、掃除指導、下校指導

・休み時間は看護当番(当番でないときは子供と遊びます。大事な仕事です。)

 

放課後は

・明日の授業の準備

・教室の掃除、片付け

・テスト、プリントの丸付け

 

15時に下校させ、ここまでやるとあっという間に定時です。

 

定時後は

・学校運営関係の書類作成

・行事関係の書類作成(企画書や講師手配など。新人なので訂正だらけ)

・保護者からの電話対応

・宿題ノートチェック(溜まると4教科×30人分になったりします)

・毎日のようにある会議(全体から少人数まで)

・学級通信作成(週に1回)

・学年通信作成(月に1回)

・学校ごとの親睦会のためのバレー(卓球、テニス、バスケなど)の練習(多い時で週2回)

 

気付くと毎日22時を回っていました。

いつ休んでいるのでしょうか。ええ、休んでいません。

夕食もとっていません。なので、ガリガリに痩せていきました。

 

運動会や学芸会の時期など、大きな行事が重なると23時過ぎが当たり前…。

(成績はもっとえぐいです)

 

申請している通勤経路では帰れないこともあり、終電の終電の終電くらいは把握しておりました笑

 

しかもこれで働きつつ…

 

 

土日も職場に行ってたんです。

 

土曜も日曜もお昼頃から学校に行き、仕事をしていました。

 

結構、人がいるんですよね。誰かしらはいる。

 

だから、頭がおかしくなっていたんだと思います。

うつ病と診断されて休職する直前は100120時間は残業していたと思います。

(恐ろしいことにタイムカードがないので残業時間は自分ではわかりません)

 

もちろん、すべての教員がこうではありません。

効率的に業務をこなし、定時に上がる方も少なくありません。

 

ただ、これを経験していたのは入社12年目程度の若造だったんです。

 

  •  何が何なのかわからない。
  • なんでこんなに仕事があるのかわからない。
  • どう片づけたらよいのかわからない。
  • どうやったら、早く帰れるのかがわからない。

 

「わからない」だらけで私の頭は混乱していました。

 

こうなる半年前から私は病院に行き、服薬をしていたので、今思えばすでにうつ病だったのかもしれません。

 

現役小学校教員が、休職して6か月になりました

 

はじめまして、数あるブログの中ならアクセスしてくださり、ありがとうございます。

 

中野ひなこと申します。

現役の小学校教員で、学級担任もしておりました。

 

今年の夏頃、突然うつ病と診断され、休職をしました。現在も休職中です。

なぜうつ病になり、これからどうやって回復を目指すか

その時の事実や気持ちなどを徒然なるままに書いていこうと思います。

 

今回はまず、簡単に自己紹介です。

 

中野陽菜子(ひなこ)

199×年生まれ、20代アラサー女子です。

祖父が元教頭、両親が教員というザ・平凡公務員家庭で生まれ育ちました。

(教員の世界では、親が教員なのはあるあるです)

 

家族で囲む食卓で母が語ってくれる仕事の話があまりにも面白く、いつしか私自身も教員を目指すようになりました。

しかし、反抗期真っ只中の高校時代、親に反発し、教育系ではなく英語系学部に進学。

その時は、教員になることが生まれながらに敷かれたレールのように感じ、とても嫌でした。

 

大学時代は、思いつくばかりのインターン、短期留学、ボランティア、アルバイトなどを一通りこなし、就職活動もしましたが、撃沈。

 

ド田舎の地元に帰り、教員採用試験に向けての社会人生活が始まるのでした。

 

現在は無事教員採用試験にも受かり、正式採用として小学校に赴任。

楽しくも忙しい毎日を送っていたのですが…

 

現場ってあまりにも厳しいんですね笑(私が不適合な気もしますが…)

 

次回から私が休職になった理由など書いていきます。

 

 

※すでにおわかりかとは思いますが、中野ひなこ(仮名)です。

※私が主観的に感じたことをつづっていきます。決して現場を非難したいわけではありません。私はこの仕事と職場が大好きです。何卒ご理解宜しくお願い致します。